扉を叩く音でムサシは目を覚ました。 誰だ?と一瞬は思うものの、それは儀礼的なもの。 ムサシは眠気を振り払いながらドアへと向かう。 日曜の朝くらい、ゆっくり寝ていたって良いだろう、とは思うもののムサシはこの習慣化された来訪を疎ましくは思わない。 むしろ歓迎している、と言ったところで差し支えは無いだろう。 「今開ける」 と言うと、「遅え」という声が返ってくる。 毎週日曜日の、決まりきったやりとりだ。 ドアを開けるとやはり憮然とした顔をのヒル魔がいた。 その隙に部屋に流れ込んでくる寒気に身をすくめて、ムサシが入れ、と言うと、 「遅えんだよ、糞ジジイ」 とヒル魔は遠慮も無しにずかずかと部屋の中に入り込み、当然のことながら部屋の中央に敷きっぱなしになっている布団を一瞥して、 「まだ寝てたのか」 と馬鹿にするように言う。 ムサシはドアの鍵を閉めながら、 「日曜くらいいいだろうが。」 世間には午前中を寝て潰すやつだって大勢いると反論するけれど、ヒル魔に、だから何だと一蹴される。 ムサシは、今片付けるからその辺に座ってろ、と溜息混じりに言って布団を片付け始める。 ヒル魔はその言葉を無視して台所へと向かう。 それが何のためであるかムサシは分かっていたから何も言わない。 たとえ来訪自体は歓迎すべきものであったとしても、日曜の朝の心地よい浮遊感を味わうことが出来ない、というのは惜しんで然るべきものだ。 とムサシは常々思うけれども、それを口に出して言ったことは無い。 言ったところでヒル魔がこの来訪の時間を遅くするとは思えないし、それはそれでムサシの望まぬことだから。 手早く布団を押入れに入れて、卓袱台を出す。 こたつ用の布団をどうしようかと悩んだけれども、さっきドアを開けた時の寒さを思い出して出しておくことにした。 こたつの中に入って窓の外を眺める。 いつもと何ら変わりの無い景色に嘆息して、テレビのリモコンを手に取った。 スイッチを押せばテレビから映像と音が流れてくる。 ムサシはチャンネルを一通り回して何か見るに値するものを探したけれど、何も見つからず、結局すぐにテレビの電源を消した。 窓の向こうに黒い雲が見える。 雨が降るのだろうか、と思って憂鬱な気分になる。 ヒル魔が2人分のコーヒーを持ってきた。 何の躊躇もなくムサシが部屋の中央に据えたばかりの卓袱台に置いて、こたつの中に潜りこむ。 ヒル魔がゆっくりとコーヒーに口をつけ、それに習うようにしてムサシもコーヒーを飲んだ。 ブラックコーヒーの苦味がムサシの頭の中の最後の眠気を吹き飛ばす。 ヒル魔がテレビのリモコンに手を伸ばす。 何気なくチャンネルを回し続ける。 さっき自分がやったばかりのことをヒル魔がやっているのを見て、ムサシは意味もなくヒル魔の気分に同調したような気になる。 何の脈絡もない映像を目が捉え、何の脈絡もない音声が耳の中を駆け抜けていく。 だからと言ってなんの感慨も無い。 小さな箱に映る全てのものが別世界のもののように感じられる。 最後のチャンネルまで行ったら、また最初に戻って回し、また最後まで行ったら最初に戻し、それを5回ほど繰り返してから、くだらねーな、と呟いてヒル魔は電源を消した。 再び部屋に満ちる静寂の時。 熱かった手の中のマグカップ徐々に暖かく感じられるようになり、コーヒーから立ち上る湯気の勢いが次第に弱まっていく。 ときおり、外を車が通る音が耳を掠める以外は外界の音はしない。 それと同じくらいの頻度で二人のどちらかがカップを置く時の音が部屋の中に響く。 お互いの息遣いすらも聞こえるような静けさの中で二人がすることと言えば、同じ空気を共有することだけだった。 こたつのもたらす温もりの中で、ムサシは再び甦ってきた眠気に抵抗することを諦めかけたその時、 「電源入れないのか」 ヒル魔が沈黙を破る。 その顎が示す先にあるこたつの電源をムサシは手に取り 「寒いか?」 と聞く。 もう3月。 こたつ用の布団を出すことすら躊躇ったのに、まして、電源を入れる必要など無かろう、とムサシは思ったのだった。 「寒くねえか?外見ろ」 そう言われて、ムサシが窓の外を見ると、雪が降っていた。 三寒四温のこの時期に雪が降っていることに驚きを隠せず、ムサシはそれを半ば呆然と見る。 「な?」 目で電源を点けることを催促するヒル魔に促され、ムサシはこたつのスイッチをオンにした。 |